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トッキー
2024.6.12 10:53ゴー宣道場

なぜ光源氏は、超熟女を抱けたのか?の疑問について。

ゴー宣DOJO掲示板から、
月曜のゴー宣ジャーナリストブログ
『「光る君へ」と読む「源氏物語」』
まいこさんのコメントをご紹介します!

 


 

第7帖「紅葉賀」のブログをお読みいただいた小林先生より、お言葉をいただきました。ありがとうございます。

〇まいこさんの解説を読むと、「源氏物語」って凄まじい事ばっかり書いてるなと思う。桐壺帝は「ネトラレ」で妻に「光源氏」の子供を産ませられて喜んでる完全にオカシイ男だと思うし、平安時代は照明がないから、光源氏は10代で58歳の女を抱けたのかが気になる。自由性愛の慣習があれば、超熟女とやれるものなのか?
と気になってしょうがない。最近は光源氏に対する尊敬心ばかりが膨らんでいく。

これまで御紹介した女性たちのうち、光る君に姿を見られた描写があるのは、空蝉と末摘花。空蝉は母屋(寝殿造の中央部分)にいて、廂の間から目鼻立ちのはっきりしない顔を見られた後も、嗜みの深さから光る君は思いを募らせていました。末摘花は、姿をまざまざと見られた後は、愛の交歓はなくなったものの、光る君は生活の世話をしています。

源典侍も、光る君に姿を見られています。「源氏物語」の原文は全編で改行を入れずに94万字以上あり、ブログに付記したあらすじに入りきらない場面や描写が沢山あるのですが、「紅葉賀」の帖には、宮中で働く源典侍が桐壺院の御髪上げ(みぐしあげ 貴人の髪を結うこと)をした後に、派手な扇をかざしつつ、光る君に流し目をするも、目蓋がひどく黒ずんで落ちくぼみ、髪はほつれ乱れている、という描写があります。

しかも、桐壺帝は似つかわしくない組合せを滑稽に思いつつ源典侍に「好き心(色好みの心)がないと女房たちは心配していたようだが、やはりそなたのことは見過ごさなかったようだな」と笑う大らかさ。19歳の息子が57,8歳の女性と付き合っていても、好き心がないよりはいいようですね。

愛子さまが国立公文書館で御鑑賞され、「源氏物語」に多大な影響を与えている「伊勢物語」63段には、情愛の深い男と逢いたいという色好みの老女(九十九髪 つくもがみ)の願いを聞いた息子から、主人公の在五中将(ざいごちゅうじょう 在原業平)が頼まれて、その老女の家に行って関係を持った、という話があります。

光る君と源典侍の描写を読んだとき、当時の読者は「あ、在五中将と九十九髪だわ」と連想したかもしれません。桐壺帝の反応をみても、年の差があったとしても、色好みは風流なこととして捉えられていたのでしょう。

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ライジングに前回のご感想をいただいたMadokaさん、今回の感想を書いてくださったひとかけらさん、続日本記の情報を下さった希蝶さん、感謝申し上げます。

 

 


 

 

毎回凄まじいことが起きていると思いながらも、それがこの時代にはどうやらそこまで凄まじいこととして捉えられていたのではないらしいということで、昔の日本人のおおらかさに驚くと共に、それが今の日本人にどこまで受け継がれているのか、消し去られようとしているのかということを改めて考えないわけにはいかなくなります。
次回も楽しみです!

 

トッキー

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